Intro

スイスでは地域ごとに特徴のある民家建築や中世建築の傑作から近代建築まで、個性豊かな素晴らしい建造物の数々を各所に訪ねることができます。長年の伝統は現代にも受け継がれ、国際的に活躍する建築家が次々と輩出されています。

スイスのモダニズム建築


1920年になるとヴァルター・グロピウスが創設した「バウハウスBauhaus」の思想がスイスにもやって来ました。中でもル・コルビュジエLe Corbusier(本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレCharles-Édouard Jeanneret)は、人間と工業化の進んだ社会を共存させる試みを通じて重要な役割を果たしました。フランスの集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」など、ル・コルビュジエの思想は主に外国で実現されましたが、彼の最初の作品であるジャンヌレ邸Villa Jeanneretをはじめ、スイスの生地ラ・ショードフォンに残る初期の作品や母親のためにつくった小さな家、彼の最後の作品となった友人でパートナーのハイディ・ウェバーの依頼で制作したミュージアムなど重要な作品がスイスに残されています。


ル・コルビュジエはその思想によって機能的で実践的な新たな建築の道を開き、世界中で、特にスイスでは若い建築家の世代に大きな影響を与えました。時としてブルータリストと評されたル・コルビュジエの機能的な建築様式は、1960年代になって、ポストモダニズムの代表的建築家で、チューリヒ工科大学の名誉教授であったイタリア人建築家アルド・ロッシAldo Rossi(1931-1997年)によって発展させられ、めりはりが与えられました。アルド・ロッシは「類似する建築」という、客観的で現象的な関係を強調する概念プロセスを展開しました。ロッシの主張した建築の独立、都市の批評分析、タイポロジーの問題は、1945年以降のドイツとスイスのセカンド・モダン建築の開花に大きく貢献しました。

1980年代には、世界的に有名なマリオ・ボッタMario Bottaを主流とするティチーノ派の形式的で職人的な正確さが評価され、現代スイス建築の最も重要な流派として認められるようになります。ティチーノ派の作品では、建築の詩的側面を強調しつつ、合理性と近代性、歴史意識、景観との関係が比類なき方法で結び合わされています。1990年代以来、ペーター・ツントー(ズントー)Peter Zumthorや、ヘルツォーク&ド・ムーロンHerzog & Meuronなどのミニマリスト建築が成功を収めています。

スイスの著名な現代建築家

ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエ Le Corbusier(1887-1965年)はスイスが生み出した20世紀で最も有名な建築家で、スイスでは10フラン札の肖像画になっています。ラ・ショー・ド・フォンの時計職人の家に生まれたシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(後にル・コルビュジェ)Charles-Édouard Jeanneretは、かなり早い時期から、建築は急激に進歩する技術とライフスタイルの変化を反映させたものでなければならないと考え、あらゆる譲歩を拒み、建築の抜本的な改革を称揚しました。影響力のある建築理論家であったル・コルビュジエは、建築家は有益で機能的かつ経済的な設計を行わなければならないと主張。1920年代に近代建築の五原則を打ち立て、鉄筋コンクリート、メタル、プレハブなどを用いた、従来建築とは全く異なる建築作品を通じて、時代にあった近代的な技術の利用を提唱。さらに、 優れた設計者として街全体を設計することもありました。「住むための機械」という概念に基づいて理想的な住宅ユニットのモデルを考案し、マルセイユやベルリンなど4ヶ所に集合住宅を作りました。


ル・コルビュジエの代表作としてスイスから近いフランスのロンシャンにつくられた礼拝堂「ノートルダム・デュ・オー礼拝堂 Notre-Dame-du-Haut de Longchamps」があります。生誕地であるスイスのラ・ショー・ド・フォンでは、建築家としてデビューしたばかりの初期の建築作品をみることができます。両親のためにつくったジャンヌレ=ペレ邸「ラ・メゾン・ブランシュ(白い家)」は一般公開されており、特別なイベントなどのためにレンタルもできます。ジュネーヴの集合住宅「クラルテClarté」(1932年)は、1950年代に世界中に広まったモダニズム運動のプロトタイプとされる先駆的な建物です。ヴヴェイには母親のためにつくったレマン湖畔のミニマム住宅「小さな家 La Petit Maison」があります。またル・コルビュジエの最後の作品となった、友人でパートナーでもあったハイディ・ウェバーの依頼でデザインした建物は、コルビュジェとのリトグラフなどの作品を展示するミュージアム「ル・コルビュジエ・センターle Centre Le Corbusier」として一般公開されています。建築家の枠におさまらず、家具のデザインからリトグラフまでマルチな才能を発揮したコルビュジェの世界をみることができます。

マックス・フリッシュ

スイスの代表的な作家のひとりであるマックス・フリッシュMax Frisch(1911-1991年)は建築家でもありました。ドイツ文学部を中退して記者として働き始めた後、チューリヒ工科大学(ETH)に入り直して建築を学びました。代表作のひとつであるチューリヒのプール「マックス・フリッシュ・バードMax-Frisch-Bad」は1943年のチューリヒ建築コンクールで優勝した作品です。小説『シュティラー Stiller』で成功を収めた後、作家となることを決意しました。フリッシュの小説には建築家が度々登場します。

ピーター・ズントー(ペーター・ツントー)と
グラウビュンデン州の建築家たち

バーゼル出身のピーター・ズントーPeter Zumthor(1943年生まれ)はグラウビュンデン州の建築家のリーダー的存在です。ズントーの作品によってスイス発の建築という考え方が国内外に発信されました。ズントーは細部までとことんまで追求する完璧主義者として知られています。その作品はシンプルで独創的、近代的ですが、現実的でもあります。光と素材が重要な位置を占めています。限られた資源で最大限の効果を発する作品によって、ズントーは魅力ある建築家の地位を確立しました。
グラウビュンデン州の小さな山里につくられた温泉スパ施設「テルメ・ヴァルス Therme Vals(1996年)」で有名。ズントーは、この岩盤の中に掘られた温泉に、静かでほとんど瞑想的とも言える場所を作り出しました。ヴァルスで採れた石材と温泉の水、穏やかな光が見事に調和した建築作品の傑作です。そのほかスムヴィッチ Sumvitgの聖ベネディクト教会(1988年)、クールのローマ遺跡シェルター、クール郊外マサンスの老人ホームなど、グラウビュンデン州を中心にいくつもの作品を手がけています。また、海外ではスイス国境に近いオーストリアのブレゲンツ美術館(1997年)なども有名です。


グラウビュンデン州にはズントーのほかにも、ロサンゼルスで活動した後2008年にフリムスFlimsに建築事務所を開いたヴァレリオ・オルジャティValerio Olgiatiをはじめ、個性的な有名建築家が何人もいます。客員教授として教鞭もとっているオルジャティは、パスペルスPaspelsの学校(1998年)、フリムスFlimsの黄色い家(1999年)、シャランスScharansのバルディルのアトリエAtelier Bardillなど、個性的な建築をいくつもデザインしています。また、チューリヒ工科大学の教授で建築事務所「ベアルス&デプラゼスBearth&Deplazes」の創設者でもあるアンドレア・デプラゼスAndrea Deplazesは、チューリヒ工科大学のチーフ建築家として、マッターホルンを望む雄大な氷河の上にまるでクリスタルのようにきらめく「モンテローザ・ヒュッテ(モンテローザ小屋)Monterosahütte(2009)」を設計しました。

また、ルムネツィア谷奥の美しい山村フリンにある教会の遺体安置所(2002年)やディゼンティスの修道院付属女子寮Unterhaus(2004年)を設計したジョン・A・カミナダGion A. Caminadaも注目される建築家です。

マリオ・ボッタとティチーノ州の建築家たち

最も有名で多作なスイス人建築家はティチーノ州メンドリーズィオ出身のマリオ・ボッタMario Botta(1943年生まれ)です。16歳の時に最初の建物を設計しました。ヴェネチアで建築を学んだ後、ティチーノ州に戻って建築事務所を開きました。それ以来、ルガーノを拠点に、フランスのエヴリー大聖堂(1990年)、サンフランシスコ近代美術館(1995年)、テルアビブのシンバリスタ・シナゴーグ(1998年)、東京のワタリウム美術館(1988年)、ソウルの教保タワー(1997年)など、一見してそれと分かる作品を世界各地で作ってきました。初期の近代的な住宅のほかに、美術館、図書館、劇場、文化施設などを多く手がけ、世界中で教鞭をとり、何度も表彰され、国際的にその名を轟かせています。

マリオ・ボッタはその地域で採れる天然石やレンガ、コンクリートなどの素材を好んで用います。幾何学的でシンプルな形を優先し、光と影を効果的に用いて、威圧感のある建物を軽やかでエレガントなものにしています。出身のティチーノ州には作品がとくに多く、モーニョMognoのサン・ジョバンニ・バチスタ教会Chiesa San Giovanni Battista(1996年)とモンテ・ターマロMonte Tamaroにある赤斑岩でできたサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会Chiesa Santa Maria degli Angeli(1996年)、ルガーノにあるボッタのバス・ターミナル(2001年)などが代表的です。ほかにも、バーゼルのティンゲリー美術館(1996年)やアローザArosaのチューゲン・ベルグオアーゼ・スパTschuggen-Bad Bergoase(2007年)も有名です。


マリオ・ボッタのほかに、ティチーノ派の建築家にはリヴィオ・ヴァッキーニLivio Vacchini、ルイージ・スノッツィLuigi Snozzi、アウレリオ・ガルフェッティAurelio Galfettiらがいます。ヴァッキーニの代表作はロカルノLocarnoの学校、ロゾーネのLosoneの学校(アウレリオ・ガルフェッティとの共作)、モンタニョーラの学校、ロカルノの郵便局、ロゾーネの体育館とベリンツォーナBellinzoneのソル広場Piazza del Sole再開発など。2003年に建てられたロカルノのヌオーヴォ地区の行政センター「ラ・フェリエラ」La Ferrieraは鉄格子の構造で覆われた建物で、ヴァッキーニの最後の作品です。他方、政治活動家でもあったスノッツィはあらゆる偏見と強い抵抗に対抗し、限られた空間における新たな都市生活のビジョンを具体化することに成功しました。モンテ・カラッソMonte Carassoの再開発計画(1977年〜)はその良い例です。様々な方法で再開発を進め、バラバラで結集力を失っていたモンテ・カラッソが街としてのアイデンティティを取り戻すことを可能にしました。

ヘルツォーク&ド・ムーロン

チューリヒ工科大学出身の建築家ジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロンは1978年に建築事務所「ヘルツォーク&ド・ムーロン Herzog & de Meuron」を開き、現在、ロンドン、ミュンヘン、バルセロナ、サンフランシスコ、東京に支店を展開しています。代表作にロンドンのテート・モダン(2002年)、北京国家体育場(通称「鳥の巣」)(2008年)、ハンブルグのエルベ・フィルハーモニーがあります。プラダ・ブティック青山店(2002年)やヴァイル・アム・ラインWeil-am-Rheinのヴィトラ・ハウス(ドイツ)も有名です。ヘルツォーク&ド・ムーロンはグローバルな視野をもって物事を捉え、例えば、中国の地方都市・金華市の都市開発では、画一的な建築の地区全体に新たな躍動を与えようとしました。ヘルツォーク&ド・ムーロンは2001年にプリツカー賞を受賞。審査員からは、蛇籠を建物のファサードに用いるなど、あらゆる種類の建材を利用する才能を讃えられました。蛇籠を最初に利用したのは、初の海外作品でもあったカリフォルニア・ナパバレーのドミナス・ワイナリー(1997年)でした。スイスにも重要な作品はあります。事務所のあるバーゼルで2001年に建設したザンクト・ヤコブ・パルクSt. Jakob Park は国内最大のサッカー場で、ショッピングセンター、サッカーチーム・FCバーゼルのミュージアム、老人ホームを併設しています。バーゼルに近いミュンヘンシュタインMünchensteinにある公立美術館、美術作品庫、美術史研究所の入ったシャウラガーSchaulager(2003年)などもヘルツォーク&ド・ムーロンの作品です。

ディーナー&ディーナー

ディーナー&ディーナーDiener & Dienerはバーゼルにあるもう一つの有名な建築事務所です。父と息子の共同事務所で、19世紀の邸宅に現代デザインの要素を組み込んだベルリンのスイス大使館増設プロジェクトが有名です。この他に、エーレスンド海峡に近いスウェーデン・マルメでマルメ大学の教員トレーニングセンターと図書館の入った建物「オルカネンOrkanen」を設計したほか、スイスでは、ビール/ビエンヌBienneのパスカート・センターCentre Pasqu'art(1999年)、バーデンのABBパワー・タワーABB Power Tower(2002年)、チューリヒのモビモ・タワーMobimo Tower(2011年)を設計しました。

ギゴン&ゴヤー

スイス生まれの建築家アネット・ギゴンAnnette Gigonとアメリカ生まれの建築家マイク・ゴヤーMike Guyerによって1989年にチューリッヒで設立された建築設計事務所「ギゴン&ゴヤーGigon & Guyer」。独立する前にヘルツォーク&ド・ムーロンなどの建築事務所で経験を積みました。チューリヒ工科大学出身のこの2人の建築家の作品には世界的に有名で、専門誌に取り上げられた作品がいくつもあります。とくにダヴォスのキルヒナー美術館(1992年)、ヴィンタートゥール美術館(1995年)、アッペンツェル美術館(1998年)、ルツェルンの交通博物館のエントランスとホール(2009年)など、美術館建築に定評があります。最近の作品で最も有名なのはチューリヒのプライムタワーPrime Tower(2011年)です。高さ126メートル、36階建てのこの高層ビルはスイスで最も高い建物です。

スイスの外国人建築家作品

スイスには外国人建築家による独創的なプロジェクトがいくつもあります。例えば、フランス人建築家のジャン・ヌーヴェルJean Nouvelがルツェルン湖畔につくった複合施設「ルツェルン文化・会議センター(KKL)」、チューリヒのシュタデルホーフェン駅(1990年)やとチューリヒ大学法学部図書館(2004年)、ザンクト・ガレンのホールはチューリヒ工科大学で博士号を取得したサンティアゴ・カラトラヴァSantiago Calatravaの作品です。アテネオリンピックのスタジアム建築でも知られています。また、ベルンのパウル・クレー・センター(2005年)やバーゼル郊外リーヘンにあるバイエラー財団の建築は、ポンピドゥーセンターや関西国際空港を手がけたイタリア人建築家レンゾ・ピアノの作品。ニューヨークの建築家ダニエル・リベスキンドDaniel Libeskindはベルン郊外のショッピングセンター「ウェストサイドWestside」(2008)を設計しました。